2008年10月05日

4年半を振り返る

本日のBGM:DAVID BOWIE「Absolute Beginners」from"best of bowie"





コールセンターのスーパーバイザーとしては初心者なので。
で、この選曲。

さて。
昨日入社手続きも終わり、ちょっと一息ついてます。
ま、今週は週6勤務なので、ちょっと気をつけたいところです。
昨日風呂に入りそびれたので、今日はゆ〜っくり湯船に浸かってリラックスしようと思います。
でも、先日長風呂したおかげで、肩から背中に渡って広がっていたコリがだいぶ解消されてます。
頭痛や吐き気も軽くなってます。

入浴は効果的です。
少しぬるめのお湯にゆっくり浸かってください。
気づかぬうちに体も緊張しているので、それを緩めるためです。
ゆっくり呼吸するとなおいいです。
頭痛で悩んでいる人も緊張性の頭痛ならば、これで改善されるはずですよ。
入れるときは、可能な限りゆっくり入ってみましょう。

入社手続きでは、とりあえず2ヶ月の契約を結びました。
来月末まで。
そこで更に今の契約を延長するのか、飛び越えて12ヶ月の契約を結ぶのかというところですね。
一応試用期間の目安は3ヶ月なので、通常であれば一度今の契約を更新して1月から契約社員ということになります。
早くスキルアップすれば、12月頭からの契約にできそうです。
ま、あんまり焦らないようにします。
結果は自ずと付いてきますから。

しかしまぁ、大学を卒業して4年半、ですか。
長かったなぁ。
自分の軸が定まってなかったというのもあったけど、辛い日々でした。
悩み抜いた4年半でした。

大学在学中から、就職というものにあまり興味がありませんでした。
氷河期だったのもあって門戸も狭かったけど、だからこそ、皆が「どこでも引っかかればいいや」というスタンスで活動してたのに違和感を覚えてました。
俺は当時、インテリアに大きな興味を抱いていたので、住宅メーカー等々を受けました。
しかし、違うんですよね。
説明会を受けてもピンと来ない。
後々は自分でお店を開いて、経営したいと思ってたんですよね。
すると、販売の勉強をするのが近道だと思ったんですよ。
ま、パニックを抱えてていながら心療内科に通院してなかったので、就職することや電車での移動に不安があって、面接でも自分を出せず・・・というのも大きな要因だったんですけどね。

結局、夏ごろに就職活動に見切りをつけて、しばらくはインテリアショップでバイトすることにしました。
ただ、学生のうちは働けないので、春休みから探そうという感じでした。
大学時代の親友で放送作家を目指している奴がいて、そいつもいわゆる就職活動をしてなかったし、「20代のうちは苦しんでも、後々みんなを笑い飛ばしてやろうぜ」なんて言い合ってました。


そして、春休みに入ってから色んなインテリアショップを探しては応募しました。
しかし、なかなか見つかりませんでした。
接客の経験がコンビにしかなかったのが大きかったかもしれませんね。
書類でもバシバシ落とされました。
面接でもね。
で、最終的に決まったのが、ロフトの家具売り場でした。


ロフトでは基本的なところから全て叩き込まれました。
入ったときの上司が本当に尊敬できる人たちで、怒られながら、褒められながら、働いてました。
これから資格を取って、更にステップアップしようと思っていた矢先、尊敬する上司が揃って異動。
入れ替わって入ってきた上司がまぁ、最悪でした。
仕事ができない上にしない。
そして、俺はパワハラを受けました。
家具売り場の人手が薄かったし、レジ専任の女の子が辞めちゃったり、俺は担当を持っていないフリーな立場だったりもして、レジを守ることが多かった。
基本的に会計は接客の延長なので、ずっと打つわけではないんですが、レジの管理やらをしなければならなかったんですよ。
そこにお店の全館リニューアルがあったんですが、そこでひと悶着。
契約とは違うレジ打ち専門の役割を、何の相談もなくやらされたんですよ。
普通、契約と違う仕事をさせるのであれば、事前に相談があるべきです。
しかし、それがなかった。
皆が色んな仕事を任される中、俺はずっとレジ打ち。
これで、うつが悪化。


結局まぁ、しばらく我慢して働いてたんですけど、限界が来ました。
まともな仕事を教えてもらえず、時々短期で入ってくるレジ担当の派遣さんの管理だけでしたからね。
爆発して、仕事を休みがちになりました。
で、インテリア業界にもちょっと限界を感じていたんですよね。
薄給激務で、家具にこだわることができるお客さんというのは、一部の人だけ。
言ってしまえば、金持ちの道楽なんですよ。
俺の目指すところは違った。
良質の材料で良質のデザインを安価でというのも、業界的にも物理的にも厳しい。
商品知識が付けば付くほど、その現実を思い知らされてね。
俺は逃げるように退職しました。


そして、地元の携帯電話ショップでバイトを始めました。
給料がロフトと同じ基本給で、自分が売った台数によってインセンティブが入る仕組みだったので、いいかな、と。
あくまでもつなぎのつもりで。
で、俺は押し売りが苦手。
でも、その店は「騙してでも売れ」という方針だったんです。
業績が悪い人はけなされるし(店長に)、わざわざ全店のランキングを作って競争させるようなところでした。
ま、親会社は英会話のNOVAだったんですが、今思えばめちゃくちゃな会社でした。
英会話のスクールと併設されてたのでそっちの社員と接触することもあったけど、挨拶もしないし、クソッタレばかりでした。

とりあえず店長とは年齢がひとつしか変わらないのもあり、よく飲みに行ったりしてたんですがね。
3ヶ月やそこらで売り上げが急激に伸びるものでもないし、ようやく少しずつ売り方のコツをつかみ始めたころ、それは突然やってきた。
突然の呼び出し1回目。
ま、自分の業績が悪いことに対する叱責だったんですけどね。
でもまぁ、その頃ちょうど売り上げが伸びてきていたので、この調子で行けばいいやなんて思ってたんです。
一応、「業績上げるように頑張ります」みたいなことは言ったんですが。
すると、ほとんど日にちを明けず、仕事中に急に呼び出し。
「もう来なくていい」と。
あまりにも理不尽な解雇です。


まぁ、実は人間関係が色々あってね。
店長と俺と同い年、ほぼ同期の女というグループと、大学生のバイトの女の子のグループ。
どちらも嫌いあってた。
俺はどちらとも分け隔てなく接してました。
ま、店長グループと頻繁に飲んでましたけど。
だけど、一度その大学生の若い女の子たちとディズニーランドへ行ったんですよ。
それでますます仲良くなってね、若い子と。
俺はそのつもりはなかったけど、抗争に巻き込まれたんですよ。
突然の解雇通告も、その、同い年の女の陰謀だと、後から聞きました。
その日休みの店長に電話で連絡を取り合い、俺の働きを監視して、売れていないことを密告して解雇させたというわけです。

2005年冬、最悪の年でした。


2005年の12月にその突然の解雇劇があり、すぐに派遣会社へ登録しました。
で、年を跨いだ3週間の短期の仕事をしました。

とりあえず、3週間働いた分の収入が丸々手元に入っていました。
働く気力を失ってしまい、すぐに仕事を探さず、しばらくボーっとしてました。
ビールを箱で買い、中古で本を買って読書。
時々散歩しては、本を買ったりCDを買ったり。
完全なるニートです。
この頃2台あったうちの1台の車を売ったので、俺の足もなくなりました。
親父は車通勤なので、滅多に車に乗れません。
これは今でもそうですけどね。
足を失った喪失感もありました。

その頃は、トリノオリンピックにWBCと、スポーツイベントがありました。
ひたすらだらだらして、夜更かしして、時差関係なくリアルタイムに観戦してましたね。
飲んで食ってテレビを観て寝る。
好き放題やってました。
ま、お金に限りがあったし、「風俗から足を洗った」と思って一切そういう店にも行かなかった。
酒を飲んで本を読んでブログを書いて、というのが3ヶ月続きました。


まぁ、3ヶ月の間にものすごい量の本を読んだんですが、そこで出会ったのが、作家・花村萬月氏。
ずっと名前だけは知ってて新作が出ていたので呼んだというわけです。
衝撃を受けました。
小説であんなに衝撃を受けるものかと思ったのを鮮明に覚えています。
で、mixiでレビューを書きました。
それでまた、運命的な出会いが。
同じく同時期に同じ花村氏の作品を読んだ方が、mixi内でメッセージをくれたんです。
で、色々と話してみると、同じくうつを患っているという人。
症状がほとんど一緒で、運命を感じました。
顔も知らぬ、遠く離れたところに住む8歳年上の人ですが、今でも交流してますよ。
彼に出会い、色んなことを教えてもらっています。
お酒のことやらお勧めの本やら。
今でも勉強させてもらってます。
最近はmixiでのコメントのやり取りですが、mixiの日記をこのブログにしていた頃は、それはもうよくよくコメントを頂いてました。
今もmixiでだいぶお世話になっております。


ちょうどその頃かな、大学時代の友人がずっとブログを読んでいて(ブログは2004年12月から続けてます。ここは2005年の6月くらいからかな)、「その文章力、生かしてみたら?」と言い出しました。
「何かこう、日々の日記だけじゃなく、作品を書いてみるべきだ」と。
小説を書くことを勧められた瞬間でした。
しかし、俺は意に介せず、酒席だったし、「いやぁ、俺にそんな実力、あるわけねぇじゃん」と流してました。


そして06年4月です。
貯蓄が残り少なくなり、働くことを決意しました。
休養十分、いつまでも家にいることにも飽きてきてたわけで(笑)
派遣会社の案件で、データ入力の仕事です。
しかしまぁ、大きなセンターだったので人との交流はほとんどなし。
同じ日に入社した人たちと軽くお酒を飲んだくらい。
席も固定じゃないし、滅多に会わないというのもあり、俺は完全に心を閉ざしてました。
飯も一人、働くのも一人、仕事は精神的に疲れるという三重苦で、またうつです。
勤怠に関してうるさく言われなかったので、気分で休んでました(笑)

でも、たまたま仲良くなったひとつ年上の女性がいて、彼女とは一緒に帰ったりしましたね。
恋をしました。
というのも、大学卒業後に不倫相手と別れたんですが、それ以来一度も恋してなかったんですよ。
「あっ、あの子いいな」という感情すらなかった。
すごくいい子で、向こうも好意を抱いてくれていたようです。
で、初めてですよ、うつをカミングアウトしたんです。
本気だからこそ、知ってもらいたいと思って。
しかし、それは功を奏さなかった。
徐々に離れて行く彼女。
悔しかったですね。
病気のせいで恋愛もできないなんて。
でも、今になって思えば、「私はあなたを受け止められない」という意思表示であり、優しさだったんだと思います。


結局、センターの縮小が決まり、勤怠評価で人員を削減するという方針から、俺は契約を打ち切られました。
結構な人数を削減したっぽいですね。
ま、その職場で長居したくはなかったので、構わないんですけどね。
最後に、同期が送別会をしてくれて、それで終了。
彼らとは連絡を取ってません。
それくらい希薄な関係でした。

でも、間を空けずに9月から、コールセンターでの仕事を紹介されました。
それが、前の職場です。
何も期待せず、何の希望も持たず。
とりあえず家から割と近いので、即決でした。

完全に心を閉ざし、迎えたコールセンターの入社。
割と涼しかった、2006年9月の上旬。
とりあえず、眠い上に膨大な情報量の研修を受け、オペレーションルームへ。
行って愕然。
男が・・・、いない。
いやまぁ、正確にはいるんですけどね。
俺が入った当時は、俺を含めて5人しかいませんでした。
ますます心は内向きですよ。

しかし、アットホームな職場でした。
都心と郊外という差があったのかな。
その男たちともすぐに仲良くなりました。
数少ない男というのは貴重で、連帯感が増すんですよね。
元々いた3人にとっては待望の男で、もう一人は10日くらいしか変わらず、同期みたいな感覚。
休憩が一緒になると、必ず一緒に飯を食いに行ってました。


そんな中で色んな話をしたんだけど、ほぼみんな音楽をやってたりリタイヤしたりしてたんですよ。
で、俺は訊かれたわけです。
「何かやってんの?」と。
ついつい、「作家志望なんだよね」と口走ってしまいました(笑)
まぁ、その頃までに例の大学時代の友人に重ね重ね言われ続け、「うん、ちょっと試してみるよ」とは答えてあり、漠然と作家もいいかなと思ってたんですけど、実際の行動は全く起こしてませんでした。
なので、即、執筆用のソフトをWebで購入してインストールしました。
ネタ作りも始めました。
でも、少しだけ書いてそのままになってました。


何となく、でものんびりと和気藹々とおばちゃんを含めた女性たちに囲まれながら仕事をしてました。
で、年末に忘年会をしたんですよ。
そこで、色んな人とさらに仲良くなりました。
今まであんまり話したことのなかったおばちゃんとか。
その中に、俺の人生を左右する出会いがありました。
今では性別を乗り越えて「ソウルメイト」と呼び合う、4つ上の女性。
姉さん、ですけどね。
彼女も心を閉ざしてた。
それがまぁ、酒を飲んで意気投合、というわけ。

その後は、コールセンターの拡大があったりして、さらに人が増えたりしました。
同世代も増えて、ますます仲良くなって。
プライベートで食事をしたりする回数が増えました。

そんな中、バンドをやらないかという話が出たんです。
姉さんがヴォーカルで、後は音楽やってる奴と初心者一人と俺。
ま、俺も高校時代に少しだけギターをやっていたものの、10年触ってなかったので初心者です。
思春期にずっと憧れてたバンド、27歳手前で始めるのも悪くないと思い、快諾。

そこからはほぼ週1日スタジオに入ったりして、バンド活動。
オリジナルの曲を作ったり、本格的でした。
俺は作詞をしてましたけどね。

でもまぁ、仕事自体は楽しくありませんでした。
クライアントはみんなカスだし、常駐してた派遣会社の社員も何もできない人たちばかりで、そういう、上下の関係に悩みました。
そして、怠け癖も付いてしまい、しょっちゅう休んでました。
体調も不安定だったし。


そこで、それまで通っていた病院を変えることにしたわけです。
このあたりのくだりは割愛。


そしてまた秋がやってきた。
繁忙期に向けた3月末までの契約の新人さん大募集。
その前の年もやってたけど、去年は新人指導をするオペレーターの中でもかなり重要なポジションでした。
マニュアルの作成に携わったりしました。
ま、「小説家志望だから日本語に強いでしょ?」という理由ですけど(笑)
マニュアルの作成を手伝い、完成し、新人さんの入社を迎えました。


その頃、バンドのメンバーの中核を担う一人が長野へシーズン限定で出稼ぎすることになり、バンドは空中分解しました。
目標と楽しみを失った俺、だけど、仕事はちゃんとしてました。
この頃から認知行動療法のグループワークを始めて、日に日に変わっていってました。
認知行動療法については割愛しますが、劇的に変わったことは皆さん承知と思います。

で、ルーティンワークをひたすらこなしながら、新人の指導。
そこで出会ってしまったんだな、うん。
一人の大学生の女の子。
6歳年下の、柴咲コウにちょっと似た女の子。
「あー、あの子かわいいなぁ」なんて思ってたんですが、同僚の男から指令が。
ちょうどその頃、新人さんを歓迎する飲み会をしようという話があって、俺は新人さんと触れ合う頻度が高いので連絡先をばら撒きつつ指導してたんですよ。
要するに幹事の一人だったんですけどね。
なので、「あの子も誘ってくれ」というミッションを受けたんですよ。
何というタイミング。
自然に連絡先を交換できる。
というわけで、連絡先を交換。


その直後かな、これまた同僚の男から、「14daさん、大学生の彼女が『14daさんってすごいいい人ですよね。優しいですよね』って言ってましたよ。メールしてみちゃえばどうですか?」って言われ、俺もチャンスだと思い、メールすることにしました。
俺も新人さんの指導で色んな新人さんを相手してたので、彼女と接する機会もあんまりなくて。
メールはかなり有効な手段でしたね。
で、いつだったか彼女が俺の向かいに座ることがあり、近くに姉さんとシングルマザーがいたんですが、彼女が俺に挨拶してきたんですよね。
それを観た二人は、「態度が全然違う!!」と。
「14da君への態度、特別な感じだよ〜」と。
実際、メールでも顔を合わせたときもフィーリングは完璧で、これはイケるという感触は持ってました。

しかしながら、職場以外で会うことのなかった二人。
彼女は俺の地元で一人暮らしをしてたので、飲みに誘いました。
二人きりで、カップルシートで飲みました。
わざわざ予約したんですが(笑)
すごくいい感じでね、また飲みに行く約束も取れたし、秒読みだと思いました。
まだうつのことは触れてなかったけど。


待っていたのは急転直下の大どんでん返し。
「短期留学で知り合ったカナダ人と付き合うことになりました」と。
ま、そのカナディアンの存在は知ってたんですが、国籍が違うから大丈夫だろうと思ってたんですよ。
やられた。
カナディアンに持っていかれた(笑)
もう、それはそれはショックで、ショックのあまり風邪を引いたくらいです。
ちょっと休んで復帰したものの、声が出ず咳も酷かったので、声を出さないでできる仕事を任されたくらい重たい風邪を引きました。
今思い出しても悔しいですよ(笑)
結果的に、それが今現在最後の恋です。
ま、「もう誰も信じられない」なんていう思いはありませんけどね。


新人さんも巣立っていき、やることがなくなりました。
失恋のショックもあり、仕事も休みがちに。
認知行動療法で回復したのも、一時的に逆戻り。
主治医には「失恋は人生の大きなイベントですから、一時的なものですよ」と言われてたんですけどね。
そんな時期に、仲良くなった一人の新人の女の子と二人で飲むことがありました。
「彼氏のことで相談がしたい」と。
で、悩みを聴きつつ飲んで・・・、一夜を共にしてしまったわけです(笑)
それが、今のセフレです。
新人さんに手を出すとかいって、最低な人間ですよね(笑)

でまぁ、仕事は相変わらず精が出ず休みがちになり、最後通告をされました。
「この1ヶ月で改善されなければ、契約を打ち切る」と。
ま、結局「この1ヶ月」という1ヶ月では評価されず、その前の月の評価で決められちゃって、契約打ち切りになったんですけどね。
この辺の齟齬はもうどうでもいい。
再就職手当てをぶんどる予定なので(笑)


そして、3月下旬、誕生日の前日に職場でぎっくり腰。
生まれて初めて救急搬送されました。
かなり酷いぎっくり腰で、1週間動けなかったですね。
幸いにも姉ちゃんの旦那が整形外科のリハビリの先生なので、毎日仕事の後で俺の治療もしてくれたんですけどね。
しばらくはコルセットが手放せなくて。
完治まで1ヶ月かかったかなぁ。
で、とりあえず1週間しない間に一度出勤したんですが、そこで契約打ち切りを告げられたんです。
もう、失恋するわぎっくり腰になるわ契約は打ち切られるわで、今年は厄年だと思いましたよ。
だけど、自分に非があるのでどうしようもなくて。
今年の4月末を持って、愛着のある職場を離れたわけです。


とりあえず4月のうちから違う派遣会社に登録したりして、職を探してました。
でもなかなか見つかりませんでした。
なんだかんだでゴールデンウィークを迎えてしまいました。
失業保険がすぐもらえるかもしれないということもあったので、離職票を待ってました。
しかしまぁ、結果的に3ヶ月の給付制限があり、働かざるを得なくなった。


この5月の初旬は、ひたすら小説を書いてました。
退職が決まった瞬間から、「俺には小説しかない」と思ったんですよ。
体調も悪く、仕事も不規則でなかなか書けなかったけど、少しずつ書いてました。
でも、本腰を入れたというか、一心不乱に書いたのは、今年の5月です。
ひたすら小説の構想を練りまくって、毎日のように喫茶店に籠りました。
家に帰ってからはひたすらパソコンで執筆。
ふと気づいたら朝日が昇ってたという生活でしたね。
1日、400字詰め原稿用紙10枚以上は書いていて、作品のはしごもしてたので、5月からの約2ヶ月で200枚くらい書きましたね。


で、とりあえず仕事をしなきゃならないんだけど、ちゃんとした仕事というか、昇進のない派遣社員は嫌だったんですよ。
派遣でもスキルアップや昇進の見込みがあるところ、もしくは正社員での仕事に就こうと思って。
だけど、28歳大卒、社会人経験乏しく転職多い、スキルなし。
一般的な転職市場では、売れ残りのカスですよ。
ほんとに見つからなかったですね。
書類でハジかれて、面接すらできない。
長期化することが見込まれたので、軽作業の日雇いをしながら就職活動をしてました。

しかし、日雇いの仕事でまた精神的にやられ始め、事務の仕事でつなぐことを思い立ち、今の職場へ派遣されることになったわけです。
前職とは違う派遣会社でね。
そして、そこで昇進の話をいただき、お願いしてそれが成就し、今に至る。


縁ってわからないものですね。
俺、今の職場、続かないと思ってましたもん。
また心を閉ざしかけてたし。
つなぎだって言い聞かせてたし。
だけど、幸いにも人に恵まれた。
そして、偶然とはいえ昇進の話があるところだった。
昇進の選択肢がなかったら、きっと9月で契約満了して、別の派遣会社で派遣社員として働いてたと思います。

そして、条件もいい。
最終的に決め手となったのは、残業の少なさ。
他の部署に行けばわからないけど、今の部署は残業が少ないので、ライフスタイルが確保できるんですもん。
小説を書きながら仕事ができる、これが大きい。
仕事も日々続けていればその先のキャリアアップにも繋がる。
小説家の道を諦めても、仕事で食っていける。


でまぁ、目標が見つかったのも大きいですよね。
小説しかないという気持ちと、仕事でのスキルアップ・キャリアアップ。
収入も上がり、ようやく貯蓄ができるというわけです。
貯蓄すると、夢は広がる。
一人暮らしをして執筆の環境を整えるというのが第一義ですよ。
職場への距離というより、執筆のため。
別に地元を出る必要はないんですよ。
だけど、家庭環境もあるし、家を出ます。
町田で一人暮らしでもいいんだけど、それじゃあ進歩がない。
どうせなら職場に近いほうがいいし。
契約社員になっても、異動はビル内なんですよね。
部署が変わるだけ。
突然新宿や渋谷などへ飛ばされるということはないんですよ。
センターが潰れれば話は別だけど、でっかいセンターなので、それも99.9%ない。
なので、辞めるまではずっと今のところです、場所は。


これからは、とりあえず仕事を覚えること。
昇進の話があったら、とりあえずは断らないこと。
小説次第ですが。
一人暮らしをして、小説を精力的に書き続けること。
小説家として生計を立てることを最大の目標として、日々努力すること。
とりあえず、それが目標。
現実的なものですね。

小説家としてデビューできたら、その先は・・・。
売れっ子でなくてもいいので、固定のファンを作ることだったり、コンスタントに作品を提供することだったり、色々ありますよ。
まぁ、それは本当に絵に描いた餅なので、今はそこまでは考えません。
目標は途絶えることがありません。
今のところ、ね。
思い通りに運ぶことはないと思うけど、この、今書いた目標はこれからの人生の基軸になります。


しかし・・・、長かったなぁ。
ここまで来るのに。
この4年半の紆余曲折、全ては書いていないにせよ、こんな感じです。
だけど、この時期があったからこそ、今の俺がある。
何度も命を絶ちたいと思いました。
しなかったけどね。
「冗談でも死ぬなんて言うんじゃねぇ」という、大学時代の放送作家志望の親友の叱咤激励や、色んな小説やマンガのキャラクターの生き様等々にも支えられました。
友人の存在は大きかったですね。
でも、これはマンガの台詞のある一節ですが、


「明日すごく楽しいことがあるかもしれないのに、死んだらそれも味わえなくなる」


というのがあります。
それが、俺を奮い立たせてます。
今が、スタートラインです。
「明日起きるかもしれないすごく楽しいこと」を味わうために、生き永らえてやります。

とりあえずそんな感じで。
クソ長い文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。


あ、ブログ辞めませんよ(笑)
まだまだお世話になります。
とりあえず明日がデビューの日なのでね、ちょっとこの4年半を振り返ってみたかったんです。
忙しさとストレスで頻度はまた週1ペースになる可能性は否定できませんが、まだまだ続けます。
ライフワークのひとつですからね。

posted by 14da at 21:32| ☔| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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